2007年12月31日月曜日

メッセージ

 日本で家族や友達に囲まれて働いていたときには、仕事の忙しさを理由に、コミュニケーションに時間をかけることは、なかなかできませんでした。家では新聞を読みながら朝食、会社では打ち合わせをしながら弁当、運転中は仕事がらみの携帯電話、帰宅する頃には疲れ果てて誰とも話したくない…。渡米前の数年間は、そんな生活でした。当たり前のようにそばにいてくれた日本の家族や友達と離れた今、コミュニケーションの難しさを再認識しています。場所と時間を気にせずに交換できるメールはとても便利なのですが、直接顔を見て声を聞く「生」の付き合いができません。言葉のすれ違いを即修正することができず、気持ちのすれ違いに転じてしまう怖さがあります。 また、連絡がなければ相手の状況や気持ちが分からず、不安になってしまうこともあります。(12月5日付『クリスマスカード』の時と矛盾した思いがあることは自覚しています。)
 アメリカで暮らし始めて気付いたことのひとつは、誰でも気軽に声を掛け合うこと。職場の仲間同士はもちろんのこと、知らない人とすれ違うときも、ニコッと笑顔で「こんにちは!」知っている人とは、そのまま会話が始まります。「クリスマスはどうだった?」「どんなプレゼントをもらった?」「誰と食事した?」…などなど。こういう何でもないようなやり取りの中で、「私はあなたのことを気にかけています」というメッセージを、常に相手に伝えているのです。中学校の教科書にもあった“How are you?”の挨拶で、最後に“Thank you.”と言うのは、「私のことを気にかけてくれて、ありがとう」という意味なのです。
 今はこちらにも友達ができ、エリック以外に普段のおしゃべりをする相手がいるので、さみしい思いをすることは少なくなったのですが、以前はとてもつらい時期がありました。日本での仕事中心の生活から離れ、どこにも属していない不安感。買物に出ても街を歩いても、知り合いに会うことのないさみしさ。そんなときに届いたメールや手紙には、自分の居場所を確認できる碇(いかり)のような重みがありました。「私のことを気にかけてくれる人がいる」と。このありがたさは、今でも同じです。

 さて、今年もあと1日。アメリカで暮らす1人の主婦として、来年もこのブログで自分自身の記録を綴るとともに、メッセージを発信していきたいと思います。皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。

2007年12月27日木曜日

クリスマス・パーティ 2


 日曜日(23日)には、エリックが前学期に教えていた日本人学生とガールフレンドを我が家にご招待しました。公務員の彼が1年間の留学のため遠距離恋愛になってしまったわけですが、クリスマスを一緒に過ごすため、彼女が1週間バッファローに滞在されたのです。なんだか、とてもロマンチック。最近自分で作れるようになった鶏の丸焼きやマッシュトスイートポテトなどを作りました。お似合いのお二人と一緒に居たら私たちもとても楽しくて、来ていただいたことを本当に嬉しく思いました。今は小さなアパートなので、あまり何人も呼ぶことはできませんが、こういう小じんまりしたパーティも悪くないなと思いました。
 そして、火曜日はいよいよクリスマス。先週末の雪は一旦すべて解けてしまったのですが、イブに新たに雪が降り、期待通りのホワイト・クリスマスになりました。実家で義母が作ったローストビーフのディナーの後、皆とプレゼント交換。私も色んな人から色んなものを頂いたのですが、義母がマフィン型をくれました。(実はリクエストしたのですが!)夏にブルーベリーを沢山摘んで冷凍してあるので、ブルーベリーマフィンを焼こうと思います。日本の両親から送ってもらった、こちらの家族へのプレゼントも渡しました。風月堂のゴーフルは、やっぱり大好評です。
 上のふたつを含めた5日連続のパーティが昨日で終わりました。仕事は日本の正月休みのようにまとまった休みがなく、私もクリスマス翌日から出勤しています。ご馳走の残りものがあるので、しばらくは夕食の支度が簡単に済みそう。来週はいよいよ新年ですが、義父母が旅行に出かけてしまったので、エリックと二人で静かな年越しの予定です。

2007年12月18日火曜日

クリスマス・パーティ 1


 週末から、パーティが3件も続きました。
 土曜日は、義父母と叔父伯母やいとこ達との集い。日曜日は、義父母の若い頃からの友人とその子ども・孫達との集い。これらのパーティは毎年恒例で、誰の家で開くかは交代制にしているようです。今年はふたつのパーティを掛け持つことになった義母が、上手にメニューを組んで無駄なく見事にもてなす姿には、感服しました。私はせめて片付けをお手伝いさせてもらいました。
 月曜日は、休館日の博物館で職場の仲間との集いでした。食べ物は、オリバーズさん(11月4日参照)のサンドイッチとオードブルに加え、皆で少しずつ持ち寄りました。私は今回、ちらし寿司の材料でカップケーキの紙カップを利用して一口寿司を作ってみました。トッピングはいり卵とエビです。手でひょいと取り上げられる形を考えたわけですが、しばらくおにぎりさえ作っていなかった私はご飯を丸めるのに一苦労。でも、なんとか皆さんに喜んでもらえるものができました。
 さて、いよいよ今週末からは、本番のクリスマスです。仕事も含めると、次は5件連続でパーティの予定が入っています。太らないように、気をつけなくては…!

2007年12月16日日曜日

降雪情報

 
 昨夜から雪が降り続いています。今日は仕事仲間の大学生に代わって出勤の予定だったのですが、この雪のため博物館は休館になりました。この自由な時間は、ボーナスのような気がします。 バッファローは五大湖の影響(※)で冬はよく雪が降るのですが、過去2年はホワイト・クリスマスではありませんでした。今年こそ期待したいところです。
 写真はアパートのリビングから見た外の様子です。12月1日よりも、雪が多いことが分かりますでしょうか。

Lake Effect:バッファローは、五大湖のひとつエリー湖の東に位置します。夏に暖められた湖水が外気より高い水温を保つため、これが蒸発し、西からの冷たい風に打たれて雪になるのです。

2007年12月14日金曜日

クリスマスの準備2 プレゼント


 結婚して初めてのクリスマスは、こちらの家族と知人に贈るプレゼントの予算の目安や好みが分からず、今思うとちょっと的外れのものを贈ってしまった人もいました。もちろん、相手に喜んでもらえるものを一所懸命考えるわけですが、予想が必ずしも当たるとは限りません。

★アイデア:ギフトレシート
アメリカで普及している方法ですが、プレゼントが好みに合わなかったり、他の人からもらったものと重なってしまった場合などに、受け取った相手が返品できるよう、お店がギフトレシートを発行してくれます。普通のレシートから金額部分が抜けていて、購入日や商品コード等お店側に必要な情報が印刷されています。これを返品したい商品とともに一定期間内に持参すると、同じ金額の商品または商品券と交換してもらえるのです。自分が選んだものに自信がないときは、これをプレゼントと一緒に包みます。日本でも、ある人から、ギフトレシートではなかったものの、そのお店で購入したことがわかるカードを添えてスカーフをプレゼントして頂いたことがありました。「もし他の柄がよかったら、このカードを持っていくと交換してもらえるよ」と。プレゼントを頂いた上に更に選択の余地があるなんて、とても気が利いていると思いました。日本でも、この方法が広まるといいなと思います。

★アイデア:ギフトバスケット
相手の好みが分からなかったり、ちょっとしたお礼などでプレゼントするときに使う方法です。テーマを決めて、関連の品物をバスケットに詰め、セロファンで包みます。例えば、結婚前に義母からもらったバスケットには、バッファローを紹介する本や地元のお菓子などが詰められていました。箱入りの贈り物よりくだけた雰囲気で、贈るほうも贈られるほうも楽しめるアイデアです。

2007年12月10日月曜日

もしも…


 この年齢(30代後半)で翻訳の勉強を始め、正直なところ、自分の頭の柔軟性や体力に衰えを感じることがたびたびあります。結婚が遅かった私は、妊娠・出産という一大イベントをまだ果たしておらず、今のタイミングで新しいものに手を出すこと自体に、少し無理があるのかもしれません。そんな時、「もしも…」と考えてしまいます。
 もしも、5年早くエリックと出会っていたら、ぎりぎり20代で結婚できていたはず。子どものことも、今のような焦りはなくて、こういうストレスがない分、すんなり妊娠できていたかもしれません。子どもが今の時点で保育園に上がっていれば、なんとか家事と子育ての合間をぬって、同じ勉強をしていたかもしれません…。もしも、会社勤めをしていた頃に、サラリーマンの誰かと結婚していたら、「平凡でありながらも幸せな家庭」を築いていたことでしょう…。もしも、短大卒業後、イギリスでボランティア活動などせずに、すぐに就職していたら、バブル経済の崩壊を間一髪逃れ大手企業で働いて、もっと貯金があったのかもしれません…。
 でも、過去の人生に「もしも」は無いのです。5年早くエリックと出会っていても、お互いの良さを見抜けなかったかもしれません。運命か偶然かということは、私にはよく分かりませんが、自分なりに都度決断して、これまでの全てを経験してきたのです。今思うと中には浅はかな選択もあったのですが、自分が選んだ道で味わった苦みから、多くのことを学びました。20代の頃は、迷うことなく突き進むことができたのですが、最近は悩んだりためらったりするようになりました。これは、家庭という守るべきものがあり、この先の時間を無駄にしないためで、必ずしも悪いことではないはず。5年後に後悔しないためには、今の自分にできることを精一杯やるだけなのです。
 というわけで、引き続き翻訳の勉強を続けようかどうか迷った結果、今回の通信講座の終了(本日)をもって一旦受講は休止することにしました。しばらくは個人的に勉強をしていきます。

2007年12月5日水曜日

クリスマスの準備1 カード


 やっとクリスマスカードを書き終えました。明日発送予定です。
 日本で会社勤めをしていた頃は、特に年末はどうしようもなく忙しくて、一時期は受け取った年賀状にお返事する方法を取っていたことがありました。1年前から分かっていることなのに、なぜもっと事前に準備できなかったのでしょうか。なんとか仕事にきりを付けて新年を迎え、家でゆっくりしているときに、届けられた束を1枚ずつ読むのは楽しいものでした。小さな四角の紙片にはそれぞれ個性が光り、ふたつと同じものはありません。丁寧な文字で書かれた年賀状が元日に届くのは、送り主の律儀な人柄を表しているようです。
 結婚と渡米が決まった3年前のお正月は、まだ会社に勤めていましたが、このときこそは、婚約報告も含め、元日に届くよう事前に準備をしました。独身のうちは、自分ひとりのこと。でも、結婚するとなったら、年賀状ひとつをどう書くかも、これから築く所帯を象徴することのように思えたのです。また、これまでお世話になってきた人たちに、ちゃんとご挨拶をしておきたいと思ったのでした。
 アメリカに来てからは、年賀状は手に入らないので、日本の友達や親戚にもクリスマスカードを送るようになりました。普段の交流のない親戚には、どう書き始めたらよいのか少し迷ったりしますが、皆の顔を思い浮かべ、1枚ずつ仕上げます。エアメールを書き慣れない人も多いらしく、返事はなかなかもらえませんが、だからといって自分たちを忘れられているわけではないことは分かっています。カードを受け取るときの、あのワクワクする気持ちを、自分から届けることができるのなら、これはとても幸せなことだと思うのです。

2007年12月1日土曜日

ふるさと便


 年に数回、日本の両親に頼んで、日本のものを送ってもらいます。内容は、こちらでは手に入らない日本語の本、日本のものでないとサイズが合わないストッキングやずっと使っている化粧品などです。海を越えて届けられた荷物はいつも嬉しいものですが、私よりエリックが「早く開けようよ」と待ちきれない様子。
 今回の荷物は、発送の連絡を父からメールで受けてから、何と3日間目に届きました。私の想像ですが、これは日本の郵便局がしっかりしているからだと思います。到着がちょうど土曜日の午前で、2人ともアパートで勉強しているところに、なぜか不在届の紙片が舞い込みました。
「なんで?呼び鈴鳴らなかったよね?」
エリックが慌てて外に駆け出すこと数分。荷物を抱えて戻ってきました。
「どういうこと?」
どうやら、かなり年配の配達員だったようで、戸口まで荷物を運んでも留守の家が多いので、不在票を入れておけば、郵便局まで取りに来てもらえるだろうと思ったようです。
「ちゃんと仕事してもらわないと!高い送料を払った私の両親の気持ちは、どうなるわけ!!」
憤慨する私を脇目に、エリックが早速郵便局にクレームの電話を入れていました。
 こういうわけで、少しだけふるさと便の感激が薄れてしまいましたが、荷物には日本の温もりがこもっているようで、やっぱり嬉しくて、開けているうちに笑顔に変わっていました。エリックの両親と姉弟へのクリスマス・プレゼントや私がインターネットで注文した商品に混ざり、栗ごはんや味噌煮込みうどんが入っていました。