2009年4月29日水曜日

 イギリスでボランティア活動をしていたときに、休みを利用してヨーロッパの数カ国を一人で旅行しました。EC内でフェリーと鉄道に乗り放題の周遊チケットが、25歳未満対象で当時5万円くらいだったと記憶しています。ドーバー海峡からフェリーでフランスに渡り、その後は鉄道でオーストリア・ドイツ・オランダへ。若くて怖いもの知らずだったからできたことです。

 旅行の2日目に、パリの駅でかばんを置き引きされてしまいました。訪ねるあての友人の住所を書いたアドレス帳もカメラも着替えも、全てこのかばんに入っていました。駅構内の警察に行ってもフランス語が分からず、何か証明書みたいなものを発行してもらっても、これは何の役にも立ちません。パスポートと財布とチケットはウエストポーチに入れていたため、手元に残りました。これでパニック状態から平常心を取り戻すことができたのは幸いです。盗られた荷物はあきらめて、ロンドンの寮に着替えを取りに戻り、出直すことにしました。

 イギリス行きのフェリーの窓口で並んでいると、落ち着いた雰囲気の女性が声をかけてくれました。言葉は聞き慣れたイギリス英語でした。
「ドーバー行きのフェリーは、この窓口で並べばいいのよね?」
久しぶりの英語に安心して、自分の身に起きたことを話しました。
「実は昨日パリに着いたばかりなのに、先ほど荷物を盗まれてしまって…。幸いパスポートとチケットはあるので、ロンドンの寮に着替えを取りに戻るところなんです。」
すると、その女性はこう切り出しました。
「あなた、わざわざロンドンに帰る必要はないわ。私の家に来なさい。着替えもかばんも貸してあげるから、このまま旅を続ければいいわ。」
初めて会った人。名前すらまだ聞いていません。でも、なぜかこの人を信用できると直感しました。

 路地を抜け、連なった古いアパートのひとつの扉を開き、狭い階段を上り、彼女の部屋に着きました。途中で名前を交わし、簡単に身の上を話したと思います。軽く食事を済ませた後、揃って床に座ると彼女は語り始めました。
「私は若い頃、韓国で暮らしたことがあるのよ。今のあなたみたいに、イギリスに居ればヨーロッパの他の国を見てみたくなるのと同じで、私もアジアの他の国を見てみたくて日本に行ったの。ある街で観光を楽しんでいたら、急に具合が悪くなってしまって…。どうすることもできずにいたら、日本人の一家が家に連れて帰ってくれて、どこの馬の骨かも分からない私を看病してくれたの。感謝してもしきれなかったわ。そしたら、ご主人が『困ったときはお互いさま』って。」
「・・・。」
「だから、私はあなたを通してあの一家に恩返しをしたいの。そして、あなたも誰か困った人を見かけたら、その人を助けてあげて。」

 彼女の部屋に2日ほど滞在した後、Tシャツやジーンズを借りて、私は再び旅路に就きました。たまたま小柄な人だったので、洋服はぴったり。歯ブラシと下着だけは自分で買いました。

 女性の名前はキャサリン。イギリス人の彼女はパリで英語を教えていました。私が旅行を終えてロンドンに帰った頃、イギリスに里帰りしていた彼女と待ち合わせ、借りていたものを全て返しました。これは10何年も前の、ちょうど今頃の季節のことです。そして、今の自分が当時の彼女と同じくらいの年齢になっていることに気付きました。

 善意をもって他人のために何かできることはひとつの勇気。「困ったときはお互いさま」―この親切の輪を広げていくことが、キャサリンに対する私からの恩返しです。