2007年12月31日月曜日

メッセージ

 日本で家族や友達に囲まれて働いていたときには、仕事の忙しさを理由に、コミュニケーションに時間をかけることは、なかなかできませんでした。家では新聞を読みながら朝食、会社では打ち合わせをしながら弁当、運転中は仕事がらみの携帯電話、帰宅する頃には疲れ果てて誰とも話したくない…。渡米前の数年間は、そんな生活でした。当たり前のようにそばにいてくれた日本の家族や友達と離れた今、コミュニケーションの難しさを再認識しています。場所と時間を気にせずに交換できるメールはとても便利なのですが、直接顔を見て声を聞く「生」の付き合いができません。言葉のすれ違いを即修正することができず、気持ちのすれ違いに転じてしまう怖さがあります。 また、連絡がなければ相手の状況や気持ちが分からず、不安になってしまうこともあります。(12月5日付『クリスマスカード』の時と矛盾した思いがあることは自覚しています。)
 アメリカで暮らし始めて気付いたことのひとつは、誰でも気軽に声を掛け合うこと。職場の仲間同士はもちろんのこと、知らない人とすれ違うときも、ニコッと笑顔で「こんにちは!」知っている人とは、そのまま会話が始まります。「クリスマスはどうだった?」「どんなプレゼントをもらった?」「誰と食事した?」…などなど。こういう何でもないようなやり取りの中で、「私はあなたのことを気にかけています」というメッセージを、常に相手に伝えているのです。中学校の教科書にもあった“How are you?”の挨拶で、最後に“Thank you.”と言うのは、「私のことを気にかけてくれて、ありがとう」という意味なのです。
 今はこちらにも友達ができ、エリック以外に普段のおしゃべりをする相手がいるので、さみしい思いをすることは少なくなったのですが、以前はとてもつらい時期がありました。日本での仕事中心の生活から離れ、どこにも属していない不安感。買物に出ても街を歩いても、知り合いに会うことのないさみしさ。そんなときに届いたメールや手紙には、自分の居場所を確認できる碇(いかり)のような重みがありました。「私のことを気にかけてくれる人がいる」と。このありがたさは、今でも同じです。

 さて、今年もあと1日。アメリカで暮らす1人の主婦として、来年もこのブログで自分自身の記録を綴るとともに、メッセージを発信していきたいと思います。皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。

2007年12月27日木曜日

クリスマス・パーティ 2


 日曜日(23日)には、エリックが前学期に教えていた日本人学生とガールフレンドを我が家にご招待しました。公務員の彼が1年間の留学のため遠距離恋愛になってしまったわけですが、クリスマスを一緒に過ごすため、彼女が1週間バッファローに滞在されたのです。なんだか、とてもロマンチック。最近自分で作れるようになった鶏の丸焼きやマッシュトスイートポテトなどを作りました。お似合いのお二人と一緒に居たら私たちもとても楽しくて、来ていただいたことを本当に嬉しく思いました。今は小さなアパートなので、あまり何人も呼ぶことはできませんが、こういう小じんまりしたパーティも悪くないなと思いました。
 そして、火曜日はいよいよクリスマス。先週末の雪は一旦すべて解けてしまったのですが、イブに新たに雪が降り、期待通りのホワイト・クリスマスになりました。実家で義母が作ったローストビーフのディナーの後、皆とプレゼント交換。私も色んな人から色んなものを頂いたのですが、義母がマフィン型をくれました。(実はリクエストしたのですが!)夏にブルーベリーを沢山摘んで冷凍してあるので、ブルーベリーマフィンを焼こうと思います。日本の両親から送ってもらった、こちらの家族へのプレゼントも渡しました。風月堂のゴーフルは、やっぱり大好評です。
 上のふたつを含めた5日連続のパーティが昨日で終わりました。仕事は日本の正月休みのようにまとまった休みがなく、私もクリスマス翌日から出勤しています。ご馳走の残りものがあるので、しばらくは夕食の支度が簡単に済みそう。来週はいよいよ新年ですが、義父母が旅行に出かけてしまったので、エリックと二人で静かな年越しの予定です。

2007年12月18日火曜日

クリスマス・パーティ 1


 週末から、パーティが3件も続きました。
 土曜日は、義父母と叔父伯母やいとこ達との集い。日曜日は、義父母の若い頃からの友人とその子ども・孫達との集い。これらのパーティは毎年恒例で、誰の家で開くかは交代制にしているようです。今年はふたつのパーティを掛け持つことになった義母が、上手にメニューを組んで無駄なく見事にもてなす姿には、感服しました。私はせめて片付けをお手伝いさせてもらいました。
 月曜日は、休館日の博物館で職場の仲間との集いでした。食べ物は、オリバーズさん(11月4日参照)のサンドイッチとオードブルに加え、皆で少しずつ持ち寄りました。私は今回、ちらし寿司の材料でカップケーキの紙カップを利用して一口寿司を作ってみました。トッピングはいり卵とエビです。手でひょいと取り上げられる形を考えたわけですが、しばらくおにぎりさえ作っていなかった私はご飯を丸めるのに一苦労。でも、なんとか皆さんに喜んでもらえるものができました。
 さて、いよいよ今週末からは、本番のクリスマスです。仕事も含めると、次は5件連続でパーティの予定が入っています。太らないように、気をつけなくては…!

2007年12月16日日曜日

降雪情報

 
 昨夜から雪が降り続いています。今日は仕事仲間の大学生に代わって出勤の予定だったのですが、この雪のため博物館は休館になりました。この自由な時間は、ボーナスのような気がします。 バッファローは五大湖の影響(※)で冬はよく雪が降るのですが、過去2年はホワイト・クリスマスではありませんでした。今年こそ期待したいところです。
 写真はアパートのリビングから見た外の様子です。12月1日よりも、雪が多いことが分かりますでしょうか。

Lake Effect:バッファローは、五大湖のひとつエリー湖の東に位置します。夏に暖められた湖水が外気より高い水温を保つため、これが蒸発し、西からの冷たい風に打たれて雪になるのです。

2007年12月14日金曜日

クリスマスの準備2 プレゼント


 結婚して初めてのクリスマスは、こちらの家族と知人に贈るプレゼントの予算の目安や好みが分からず、今思うとちょっと的外れのものを贈ってしまった人もいました。もちろん、相手に喜んでもらえるものを一所懸命考えるわけですが、予想が必ずしも当たるとは限りません。

★アイデア:ギフトレシート
アメリカで普及している方法ですが、プレゼントが好みに合わなかったり、他の人からもらったものと重なってしまった場合などに、受け取った相手が返品できるよう、お店がギフトレシートを発行してくれます。普通のレシートから金額部分が抜けていて、購入日や商品コード等お店側に必要な情報が印刷されています。これを返品したい商品とともに一定期間内に持参すると、同じ金額の商品または商品券と交換してもらえるのです。自分が選んだものに自信がないときは、これをプレゼントと一緒に包みます。日本でも、ある人から、ギフトレシートではなかったものの、そのお店で購入したことがわかるカードを添えてスカーフをプレゼントして頂いたことがありました。「もし他の柄がよかったら、このカードを持っていくと交換してもらえるよ」と。プレゼントを頂いた上に更に選択の余地があるなんて、とても気が利いていると思いました。日本でも、この方法が広まるといいなと思います。

★アイデア:ギフトバスケット
相手の好みが分からなかったり、ちょっとしたお礼などでプレゼントするときに使う方法です。テーマを決めて、関連の品物をバスケットに詰め、セロファンで包みます。例えば、結婚前に義母からもらったバスケットには、バッファローを紹介する本や地元のお菓子などが詰められていました。箱入りの贈り物よりくだけた雰囲気で、贈るほうも贈られるほうも楽しめるアイデアです。

2007年12月10日月曜日

もしも…


 この年齢(30代後半)で翻訳の勉強を始め、正直なところ、自分の頭の柔軟性や体力に衰えを感じることがたびたびあります。結婚が遅かった私は、妊娠・出産という一大イベントをまだ果たしておらず、今のタイミングで新しいものに手を出すこと自体に、少し無理があるのかもしれません。そんな時、「もしも…」と考えてしまいます。
 もしも、5年早くエリックと出会っていたら、ぎりぎり20代で結婚できていたはず。子どものことも、今のような焦りはなくて、こういうストレスがない分、すんなり妊娠できていたかもしれません。子どもが今の時点で保育園に上がっていれば、なんとか家事と子育ての合間をぬって、同じ勉強をしていたかもしれません…。もしも、会社勤めをしていた頃に、サラリーマンの誰かと結婚していたら、「平凡でありながらも幸せな家庭」を築いていたことでしょう…。もしも、短大卒業後、イギリスでボランティア活動などせずに、すぐに就職していたら、バブル経済の崩壊を間一髪逃れ大手企業で働いて、もっと貯金があったのかもしれません…。
 でも、過去の人生に「もしも」は無いのです。5年早くエリックと出会っていても、お互いの良さを見抜けなかったかもしれません。運命か偶然かということは、私にはよく分かりませんが、自分なりに都度決断して、これまでの全てを経験してきたのです。今思うと中には浅はかな選択もあったのですが、自分が選んだ道で味わった苦みから、多くのことを学びました。20代の頃は、迷うことなく突き進むことができたのですが、最近は悩んだりためらったりするようになりました。これは、家庭という守るべきものがあり、この先の時間を無駄にしないためで、必ずしも悪いことではないはず。5年後に後悔しないためには、今の自分にできることを精一杯やるだけなのです。
 というわけで、引き続き翻訳の勉強を続けようかどうか迷った結果、今回の通信講座の終了(本日)をもって一旦受講は休止することにしました。しばらくは個人的に勉強をしていきます。

2007年12月5日水曜日

クリスマスの準備1 カード


 やっとクリスマスカードを書き終えました。明日発送予定です。
 日本で会社勤めをしていた頃は、特に年末はどうしようもなく忙しくて、一時期は受け取った年賀状にお返事する方法を取っていたことがありました。1年前から分かっていることなのに、なぜもっと事前に準備できなかったのでしょうか。なんとか仕事にきりを付けて新年を迎え、家でゆっくりしているときに、届けられた束を1枚ずつ読むのは楽しいものでした。小さな四角の紙片にはそれぞれ個性が光り、ふたつと同じものはありません。丁寧な文字で書かれた年賀状が元日に届くのは、送り主の律儀な人柄を表しているようです。
 結婚と渡米が決まった3年前のお正月は、まだ会社に勤めていましたが、このときこそは、婚約報告も含め、元日に届くよう事前に準備をしました。独身のうちは、自分ひとりのこと。でも、結婚するとなったら、年賀状ひとつをどう書くかも、これから築く所帯を象徴することのように思えたのです。また、これまでお世話になってきた人たちに、ちゃんとご挨拶をしておきたいと思ったのでした。
 アメリカに来てからは、年賀状は手に入らないので、日本の友達や親戚にもクリスマスカードを送るようになりました。普段の交流のない親戚には、どう書き始めたらよいのか少し迷ったりしますが、皆の顔を思い浮かべ、1枚ずつ仕上げます。エアメールを書き慣れない人も多いらしく、返事はなかなかもらえませんが、だからといって自分たちを忘れられているわけではないことは分かっています。カードを受け取るときの、あのワクワクする気持ちを、自分から届けることができるのなら、これはとても幸せなことだと思うのです。

2007年12月1日土曜日

ふるさと便


 年に数回、日本の両親に頼んで、日本のものを送ってもらいます。内容は、こちらでは手に入らない日本語の本、日本のものでないとサイズが合わないストッキングやずっと使っている化粧品などです。海を越えて届けられた荷物はいつも嬉しいものですが、私よりエリックが「早く開けようよ」と待ちきれない様子。
 今回の荷物は、発送の連絡を父からメールで受けてから、何と3日間目に届きました。私の想像ですが、これは日本の郵便局がしっかりしているからだと思います。到着がちょうど土曜日の午前で、2人ともアパートで勉強しているところに、なぜか不在届の紙片が舞い込みました。
「なんで?呼び鈴鳴らなかったよね?」
エリックが慌てて外に駆け出すこと数分。荷物を抱えて戻ってきました。
「どういうこと?」
どうやら、かなり年配の配達員だったようで、戸口まで荷物を運んでも留守の家が多いので、不在票を入れておけば、郵便局まで取りに来てもらえるだろうと思ったようです。
「ちゃんと仕事してもらわないと!高い送料を払った私の両親の気持ちは、どうなるわけ!!」
憤慨する私を脇目に、エリックが早速郵便局にクレームの電話を入れていました。
 こういうわけで、少しだけふるさと便の感激が薄れてしまいましたが、荷物には日本の温もりがこもっているようで、やっぱり嬉しくて、開けているうちに笑顔に変わっていました。エリックの両親と姉弟へのクリスマス・プレゼントや私がインターネットで注文した商品に混ざり、栗ごはんや味噌煮込みうどんが入っていました。

2007年11月27日火曜日

大人予備軍


 先日のサンクスギビングの集いで、甥っ子姪っ子との会話を楽しみました。初めて会った頃は恐いもの知らずだったアレックス(甥)は小学2年生になり、時々少しはにかむようになりました。以前は誰にでも抱きついていたマディ(姪)は6才になり、今では大人顔負けの発言をすることがあります。彼らと一緒にいると、感性の鋭さにドキリとしたり、思わず笑ってしまったり、あっという間に時間が過ぎていきます。

会話①テレビゲームwiiに関する話題より
「マディちゃん、wiiで何して遊ぶの?」
「それは、wiiがどういうゲームかということを聞いているの?それとも、wiiを使って何のゲームをするかということを聞いているの?」
あらら、質問の意図をはっきりしなくては、いけませんでしたね。

会話②折り紙で動物を作っている時に
「マリおばさんがalligator(ワニ)って言うと、アリとゲーターみたいに聞こえるぅ。」
すみません…、もっと発音の練習をします。

会話③折り紙を次々と注文するアレックスに対応していると
「エリックおじさん、なんで彼女と結婚したか分かる気がするよ。」
ワーオ!
You made my day! (「あなたのおかげで、今日はいい日になったワ!」)

写真:サンクスギビングの食卓にて、義姉とエリック。後姿は義父です。

2007年11月23日金曜日

サンクスギビング


 アメリカのお祭りサンクスギビングは、その昔、ヨーロッパからの移民が、原住民インディアンと折り合いをつけて暮らしてきたという歴史に基づく、伝統的なお祭りです。秋の収穫物を感謝し、民族の共存共栄を祝う意味があります。毎年11月の第4木曜日がこの祝日に定められ、北米の特産物である七面鳥・とうもろこし・かぼちゃをメニューにしたご馳走を、家族や友人と一緒に食べるのが、一般的な習慣です。小学校などでは、ピルグリム移民の寸劇を発表するところもあるようです。
 さて、今年は昨日がその祭日でした。私たちは、例年通りエリックの実家で家族と揃ってご馳走をいただきました。料理上手の義母は、何を作ってもいつも美味しいのですが、お祭りのご馳走は格別です。子供の頃の『トムとジェリー』に出てきたような七面鳥の丸焼き・かぼちゃを含む野菜のローストやマッシュポテトは義母が作り、洋ナシやブルーチーズ入りのサラダと自家製ドレッシングは私の担当、そしてアップル・クランベリーパイとパンプキンパイは義姉が焼いて持ってきました。午後3時のディナーに備えて、朝兼昼食を控えめに済ませておいた私たちは、大皿に盛られた料理に次々手が伸びます。でも、デザートの入る余裕を残しておかないと、ホイップクリームを添えた2種類のパイを楽しむことができません。最後には、皆お腹いっぱいの幸福感で満たされます。食事の後は、それぞれおしゃべりしたり、ゲームをして楽しみました。
 一夜明けた今日は、少し胃腸をいたわるつもりで、軽い食事を心がけます。いつもエリックの家族に良くしてもらっている私は、いつか恩返しに皆を招いて、自分流のサンクスギビングのご馳走を作りたいと思います。

写真:七面鳥は丸ごと焼くのですが、そのままでは取り分けにくいので、テーブルに出す前に切り分け、大皿に盛って出します。(義母と甥のアレックス)

2007年11月20日火曜日

手作りクッキー


 これから活気づいてくるホリデー・シーズンに備えて、新しいクッキーのレシピを試してみました。家でのおもてなしに出したり、お土産に持参するクッキーは、簡単で・美味しくて・見映えのするものを作りたいところです。

★レシピ:キスチョコクッキー
材料(約50個分):ベジタブルショートニング1/2カップ、ピーナッツバター1/2カップ、グラニュー1/2カップと別に1/4カップ、黒砂糖(圧縮した状態)1/2カップ、薄力粉1+3/4カップ、ベーキングパウダー小さじ1、重曹小さじ1/8、卵1個、牛乳大さじ2、バニラエッセンス少々、キスチョコ適量
作り方:オーブンを180℃に余熱します。小麦粉とベーキングパウダー・重曹を、合わせておきます。大きめのボールでショートニングとピーナッツバターを電動ミキサーで混ぜ、グラニュー糖1/2カップと黒砂糖を加えます。さらに、卵・牛乳・バニラエッセンスを加え、最後に粉類を合わせます。手でたねを直径2~3cmの球状に丸め、1/4カップのグラニュー糖を入れた器で転がし、4~5cm間隔を開けて鉄板に並べ軽く押します。オーブンで20分程度、または周りがきつね色になるまで焼き、オーブンから出して、まだ熱いうちにキスチョコを押し付けます。

 バターではなくショートニングを使うためか、歯ごたえが軽い感じに仕上がりました。見た目は、もう少しカラフルでもいいかなと思うので、次回は、焼く前にまぶすグラニュー糖を色のついたものにしてみようと思います。アメリカのレシピは、液体や粉類だけでなく、バターのような練り物も軽量カップで計る上、カップのサイズが約240mlと日本のものより大きいので、どう表現しようか迷いましたが、今回はそのまま書かせてもらいました。

2007年11月17日土曜日

精一杯


 最近の私を一番忙しくしているものは、9月から始まった翻訳の通信講座です。英語はずっと好きだったし、アメリカ生活も今3年目で、英語はそれなりにできるつもりでいたのですが、「仕事にする=プロになる」ということは、半端なことではありません。精一杯やって提出した課題が、添削されて戻ってくるたびに落ち込んでいます。特に、英→日の翻訳の場合は、日本語のプロでもなくてはならないのです。自分が訳したものを読み、そこから必死で情報を得ようとする人がいるとしたら、これはとても責任の重い仕事です。
 講座の課題は色々ですが、自主勉強のひとつとして、日常的にラジオを聴くようになりました。私が選んだ番組は、政治・経済からトレンド情報までバラエティ豊かな話題を提供していて、勉強のつもりで書き取りながら聴いていても、内容に入り込んで、つい手を止めてしまうことがあります。でも、翻訳をする時に、文化背景を知っていることも役に立つはず。また、今までは苦手意識のあった活字の英語も、少しずつ読むようになりました。このようにして自分の知識が広がっていく感覚は、ワクワクするものです。
 夕食の後は、エリックはリビングで、私はキッチンで、それぞれパソコンを広げて勉強を始めるので、最近の我が家はほとんどテレビをつけることもなく、静かです。道は険しく、仕事として翻訳に携われる日は、もう少し先のことになるかもしれませんが、いつか自分の好きな料理やインテリアの翻訳をできるようになりたいと思います。昨日から雪がちらつき外は寒いので、週末でも外出はせず、温かいコーヒーを飲みながら、今日も2人がんばっています。

写真は、アパートのすぐ近所にあるBuffalo Psychiatric Center (バッファロー精神病院)のRichardson Towersです。暗闇で見ると、ちょっと怖い雰囲気があります。

2007年11月12日月曜日

アンティーク


 1911年生まれのエリックの祖母は、私たちが結婚する少し前に、94歳で亡くなりました。亡くなる2年前、私が初めてアメリカに旅行で訪れたときに、日本の写真を見てもらったり、小さなプレゼントを交換したことは、とても大切な思い出です。彼女の朗らかな性格と少しくすんだブルーの瞳は、義父とエリックが受け継いでいます。
 その祖母の遺したアクセサリーを、私も形見に分けてもらいました。アメリカ国内に限らず、祖父とともに世界を旅行してきた祖母は、各地でお土産と一緒にアクセサリーを購入していたようで、よく見ると、ドイツ製・イギリス製と表示してあったり、スタイルから「これはメキシコ製かな」と想像できるものもあります。祖母の世代の女性は、家に居るときも身なりを整え、アクセサリーを日常的に着けていたようで、夫を敬い女性らしさを忘れないその精神を、見習わなくてはいけません。そういえば、イギリスでボランティアをしていたときに出会ったペギーも―祖母より少し若い世代ですが、今も元気な様子です―いつも髪を整え、指にはマニキュア、耳にはイヤリングを着けていました。これらは、コスチューム・ジュエリーと呼ばれ、貴金属としての価値はありませんが、見映えのする色とデザインは、今でも私たちの目を楽しませてくれます。
 バッファローでの私たちの生活は、アンティークに囲まれた節約生活です。アパートは築60年を超す古い建物、使っている家具も、エリックの祖父母の遺品と実家にあったものの寄せ集めで、何ひとつ新しいものはありません。食器や調理器具も同じで、結婚したときに自分で買ったのは、包丁とまな板だけ。でも、古いものをありがたく使わせてもらって送る今の生活スタイルが、私はとても気に入っています。そして、亡くなった祖母も、こんな私たちを、きっと応援してくれているにちがいないと思うのです。

2007年11月8日木曜日

初雪


 火曜日に初雪が降りました。風に吹かれてこぼれ落ちたような小さな粒たちは、すぐに溶けてしまいましたが、確実な冬の訪れを実感するのには十分でした。オーブンで料理をすると家じゅうが温まるので、この季節はオーブン料理が増えます。大学から帰ってきたエリックが、早速においをかぎつけて、嬉しそうにテーブルに着きます。

★レシピ:カリフラワーチーズ
材料(4人分):カリフラワー1個、たまねぎ1個、にんにく2片、ベーコン6~8枚、バター大さじ3杯、小麦粉大さじ3杯、牛乳480cc、チェダーチーズ(細かく刻んだもの)計量カップに1杯強、パルメザンチーズ粉少々、塩・こしょう適宜
作り方:オーブンを180度に余熱します。カリフラワーは一口大に切り、固ゆでするかレンジで蒸しておきます。小さめに刻んだたまねぎ・にんにく・ベーコンをフライパンで炒め、味付けをしておきます。小ぶりの鍋で、バターを溶かし小麦粉を炒め、いったん火を止めてから牛乳を加えます。弱火に戻して小まめにかき混ぜ、煮立ちかけたところで火を止め、チーズを余熱で溶かし混ぜ、味付けをします。キャセロール(耐熱容器)にカリフラワー・たまねぎの炒め物の順で入れ、上からチーズソースを注ぎ、パルメザンチーズ粉をふりかけて、ふたなしでオーブン(上面焼グリル)へ。20分程度、または表面に軽く焦げ目がつくまで焼きます。香ばしいパンとミニサラダを添えて、どうぞ。

 うちは2人だけの家族ですが、普段の料理は、だいたい4人分で作ります。残りは冷蔵庫に入れておき、週末の昼や忙しい日の夕食に、レンジでチンしていただきます。ボリュームを出したいときは、カリフラワーと同じ要領でじゃがいもを加えてもOKです。

2007年11月4日日曜日

オリバーズ


 昨夜、Daylight Saving Time (サマータイム)が終わりました。時計を1時間戻したので、日本との時差が-13時間から-14時間に変わります。
 その昨夜は、私の誕生日前夜ということで、久しぶりにレストランに予約を入れて出かけました。新しい私のお気に入り、オリバーズは、博物館の結婚式やパーティでケイタリングをしているレストランです。先月のイベントで受付をしたときに、初めて私の分も食事を用意してもらえて、その料理の美味しかったこと!誕生日の食事はここにさせてもらおうと、決めていました。
 さて、オリバーズの店内は、黒を基調にしたシックなインテリアです。まずはバーで軽く一杯飲んでから食事をしてもよいのですが、昼食を控えめにしておいた私たちは、食事が待ち遠しくて、すぐに予約のテーブル席に案内してもらうことにしました。ワインのセレクションも豊富で、メニューが独立した1冊になっています。エリックは赤ワイン、私はシャンパンをベースにしたカクテルを注文しました。続いて、サービスの自家製のパンは数種類を選ぶことができ、オリーブオイルをつけていただきます。そこに、ほどよい良いタイミングでサラダが登場。オリーブやアーティチョークの入った美味しいサラダは、二人で分けることにしたのに、それでも食べきれないほどボリュームがあるため、半分持ち帰ることに。メインには、エリックはカツオのたたき風、私はフィレ・ミニョン(牛ヒレのステーキ)を選びました。こちらも、もちろん、私たちの期待を裏切りません。私は注文通りに焼いてもらったジューシーなお肉を、ひと口ひと口堪能しました。デザートは、チーズケーキを二人で分けることにしました。
 こんな素晴らしい食事は、なかなか普段はできないのですが、特別な機会には許されるかなと思います。私のリクエスト通り、苦手なタートルネックを着て、いつもよりハンサムに見えるエリックに、心から感謝しました。
<物価ご参考>
 カクテル $6.50
 フィレ・ミニョン $34.00
※サービスに満足したら、チップとして総額の15%程度を添えることは常識です。

2007年10月30日火曜日

医者と薬


 この秋は気温の下がり方が緩やかで、紅葉がなかなか進まなかったのですが、ここ数日少し冷えてきました。今週はハロウィンのイベントがあるので、夜、子供たちが衣装を着けてお菓子をもらいに近所を回るとき、あまり寒くなければいいなと思います。
 エリックが風邪をひきました。鼻をズルズルして苦しそうな姿で、それでも大学の自分の試験対策・学生から預かった課題の添削と、家にいる間はずっと紙の山と闘っています。こんなときは、「栄養が偏っていたかな」とか「もっと、手洗いとウガイを厳しく言えばよかった」などと、反省してしまいます。
 アメリカに来て最初の年は、環境が変わったためか、私もよく熱が出ました。でも、こちらは誰も、すぐには医者に行きません。様子を見て市販の薬を飲み、症状が何日も続くようであれば、やっと医者に行くのです。栄養をとって大人しくしていれば、治っていくはずだから?あるとき、市販の薬では抑えようのない喉の痛みと熱が続き、エリックがクリニックに連れて行ってくれたのですが、薬の吸入も注射もありません。散々待たされた挙句、喉を見て、薬を処方してもらって、終わり。こんな診察でしっかり料金を請求されますから、これでは誰も医者に行きたがらないわけです。また、病院は特別な設備や技術が必要な検査や手術のために行くところのようで、日本とは感覚が違います。医療保険制度にも、色々問題があるようです。
 私は、秋冬は扁桃腺、春夏は花粉症と、薬を飲むことが多いので、実家近くの薬局の薬剤師さんもよく知ってくれていて、「喉の薬」「鼻の薬」をまとめてアメリカに持ってきました。うちの薬箱には、それほど色々用意していないので、エリックが風邪をひいたら、まずは私の薬を飲ませるのですが、ここでも感覚の違いがありました。差し出した薬を、すぐには飲もうとしないのです。どうやら、薬の成分を知りたいようなのですが、実は私も何が入っているのかよく知りません。薬剤師さんが用意してくれるので安心していましたが、そういえば、こちらは医者でも必ずどんな成分の薬を飲んでいるのか聞かれます。主婦として、普段の食べ物も含めて、自分たちの身体に直接入るものを、もっと注意深く選んでいこうと思いました。

2007年10月24日水曜日

ホームシック

 短大時代に研修旅行で2ヶ月間家を離れたときも、ボランティア活動で1年間家を離れたときも、ホームシックを感じたことはありませんでした。これは精神的に自立できている証拠だと思っていました。渡米するときも、空港では涙が出てしまったけれど、これから迎える結婚生活に胸をふくらませ、さみしい気持ちはあまりありませんでした。
 そんな私がホームシックを自覚したのは、アメリカ生活2年目、去年の秋。左ハンドル運転にもウエイトレスの仕事にも慣れ、生活が規則正しく回転していた中、不注意で風邪をひき、その頃から自分の精神状態がガタガタっと落ちていったように記憶しています。普段の生活では、仕事や家事に精一杯で、いろんなことをゆっくり考える余裕がなかったのですが、ベッドの中、熱のある頭でぼんやりと両親や友達のことを考えていたら、なんだかたまらない気持ちになってしまったのです。仕事は1日休んだだけで、翌日からまた普段の生活が再開したのですが、相変わらず気持ちは沈んだまま。風邪の症状がなくなった後も、ずっと身体が重い感じが続きました。いつも連絡している友達にメールする気にもなれず、大好きなウインドウショッピングもエリックとの散歩も、何をしても楽しめず、食事も美味しく食べられず、夜もぐっすり眠れない日が―その頃は時間の感覚がなく、よく覚えていないのですが―ひと月近くも続いたでしょうか。ある日、義母に呼ばれ、しばらく二人でとりとめのない話をした後、こう切り出されました。
「あなた、もう1年近くも日本に帰っていないでしょう。帰省は計画していないの?」
グッと、痛いところを突かれたような気がしました。
「クリスマスプレゼントで、飛行機のチケットをあげようと思っているのよ?」
「とてもありがたいのですが、フルタイムで勤めているので、それほど長期に休ませてもらうわけには…」
抑えていた感情がこみ上げ、涙があふれて言葉を続けられません。
「ご両親はもちろんのこと、他の人たちにだって、会いたいでしょう?」
長年、中学校の教師をしてきた義母は、目をそらさずに話し続けました。
「仕事先には、書面でリクエストしましょう。正当な理由があれば、相手だってただノーというばかりではありませんよ。それに、今の仕事は大変でしょう。もしノーと言われたら、辞める方法だってありますよ。仕事はまた探せばいいのだから。」
私の状態を心配したエリックが、こっそり義母に相談してくれていたようです。
 義母の提案通り勤務先にリクエストを出し、2月に4週間帰省できることになったのですが、おかしなことに、嬉しい気持ちがなかなか沸いてきませんでした。今、振り返ってみると、アメリカで学生に戻ったエリックに代わって収入を得るため、肉体的につらい仕事を無理に続け、買物も外食もできるだけ控え、帰る予定のない日本のことをずっと考えないようにしていました。そのストレスが、知らず知らず自分の限界を超えてしまっていたのだと思います。心の中の、楽しいことや嬉しいことに反応すべき部分の働きが、にぶってしまったのです。
 日本で元気を回復した私は、エリックがアルバイトに就いたこともあり、その後しばらく勤めてウエイトレスの仕事は辞めました。毎日の生活のためには、選択の余地なく働かざるを得ないこともあると思いますが、心と身体のバランスを失ってしまわないように、自分も気をつけ、パートナーを見守る必要があると思います。これが私のホームシックの経験です。

2007年10月20日土曜日

グリーントマト


 秋になり、プランターで育てていたトマトが、なかなか赤くならないので、青いまま収穫してみました。義母に聞いたら、紙袋に入れておくと、赤くなってくるとのこと。でも、せっかくなので、グリーントマトも楽しむことにしました。

★レシピ:フライドグリーントマト
材料(4人分):トマト(中)2個、小麦粉・溶き卵・パン粉・オリーブオイル適宜、塩・こしょう少々
作り方:トマトを1.5cmほどの厚さに輪切りし、切り口に塩をまぶして、しばらく置きます。パン粉に塩・こしょうで味付けをしておきます。トマトの水分を拭き取り、小麦粉・溶き卵・パン粉の順で付け、オリーブオイルを熱したフライパンで、軽く焦げ目がつくまで焼きます。

★レシピ:グリーントマトのカレー
材料(4~5人分):トマト(中)5個、にんじん1本、たまねぎ1~2個、牛ひき肉200g、市販のルー
作り方:野菜を小さめに切っておきます。トマトは1cm角程度。ひき肉と野菜を炒め、ルーの指示よりも少し控えて水を加え、15分ほど煮てからルーを加えます。

 アメリカでは、フライドグリーントマトは、アペタイザー(前菜)として食べられているようです。そのままでは、きっと食べられないほど酸っぱい青いトマトも、この方法なら美味しくいただけます。カレーは、自分の思いつきで試してみたのですが、うちの食卓では好評。季節限定の味を、楽しまない手はありません。

2007年10月16日火曜日

太らないために


 どちらかというと太りやすい体質の私。アメリカに来るときに心配だったことのひとつは、簡単に太ってしまいそうなこと。自分で買物して作っても食事内容は魚より肉類が多くなってしまうし、外食すると一人前がボリューム満点、さらにクリスマス前後の2ヶ月間はパーティーが続くので、油断するとすぐに体重が増えてしまいます。

★アイデア:ラジオ体操
日本で会社勤めをしていた頃、ラジオ体操のCDを購入しました。スポーツの趣味がなく、普段から運動不足を感じていたのですが、毎日少しずつできるストレッチ方法みたいなものがないかと探していたときに、ラジオ体操なら、と思ったのです。第一が約3分、第二が約3分。指先や筋肉の動きまで意識して体操すると、最後には汗ばみます。朝の6分で気持ちもシャキッとし、その日一日をきびきび動けば、無理な運動なんてしなくていいと、私は思うのです。

★アイデア:歩く!
ウォーキングという運動方法はよく知られていますが、もともと運動嫌いの私は「運動するために歩く」というのが、どうも納得できません。そこで、私は徒歩30分圏内の銀行や郵便局などは、なるべく歩いて行くようにしています。夏から通い始めたヨガ教室も、15分余りの距離ですが、徒歩で行っています。通りのショーウィンドウを眺めたりしていくと、あっという間。エリックが以前、「スポーツジムに車で通って、バイクマシーンで景色も変わらない中を運動するなんて、おかしいよね。それなら、自転車でジムまで行けばいいのに。」と話していました。その彼も私のヨガ教室には賛成です。

2007年10月12日金曜日

傷あと


 ちょうど1年前のことです。老人ホームの食堂で、昼食の後片付けをしていると、ウエイトレス仲間の一人が外を見て声を上げました。
「あ、雪!」
皆で窓に駆け寄り、思いがけず早く訪れた初雪に、しばらく手を休めました。ボタン雪のように大きな雪が、溶けるよりも速く積もり、駐車場のアスファルトがみるみる白くなっていきます。帰宅する頃には、街中が雪景色に変わっていました。
 その頃は、6時半の出勤に合わせて、毎朝5時過ぎに起床していたのですが、雪道の運転が気がかりで、翌朝は少し早めに起きました。手早く身支度を整え、勝手口を開けてビックリ!雪がひざの高さまで積もっていました。辺りは異様な光景です。まだ紅葉が始まったばかりで落葉していなかった木々の枝が、雪の重さに耐えられず、あちこちでへし折られています。さらに、折れた枝が電線に引っかかり、たるんだ電線が地面に届いているところもあります。それでも、私は、老人ホームで暮らす人たちのことを思うと、出勤しないではいられません。エリックを呼んで車を出そうとしたのですが、駐車場も道路も、手のつけようのないほど、すべて雪と枝で塞がれていました。
「仕方ないよ。」
エリックの言葉に、私は欠勤の電話連絡を入れることにしました。
 それからしばらくの間は、この October Surprise (10月の思いがけない大雪)の話題で持ちきりでした。幸い、私たちの地域は、電気も水道も支障なかったのですが、停電や断水が1週間以上も続いたところ、雪解け水で地下室が洪水になったところなど、深刻な被害の話を聞きました。エリックが教育実習で通っていた市内の高校も、1週間休校になりました。
 この写真は数週間前に写したものですが、去年の大雪が残した傷が、生々しく残っています。木そのものは元気ですが、公園の穏やかな雰囲気と、傷あとが対照的です。これを教訓に、今年は10月に入るとすぐに、ヒーターのフィルターを交換し、ペットボトルの水や缶入りのスープなどを買い込みました。

2007年10月7日日曜日

おすそ分け



 私の職場である歴史博物館は、普段は静かな場所ですが、週末には、意外なイベントがここで開かれます。それは、なんと結婚式!気候の良いときだけということですが、私が勤め始めた8月から現在に至るまでの期間は、土曜日には毎週結婚式がありました。博物館の地下には、密かに業務用キッチンがあり、午後3時頃からケイタリングのレストランのスタッフが、準備を始めます。5時に閉館。6時からホール又はバルコニーに都度特設する小さな祭壇で式を挙げ、一旦参列者に退席してもらい、7時から披露宴。生バンドの奏でる賑やかな音楽に合わせて、新しく夫婦となったカップルは、家族や友達と食事やダンスを楽しみ、パーティーは深夜まで続きます。
 博物館の結婚式は、教会で挙げる厳かな式とは、少し雰囲気が異なります。それほど大きなホールではないので、集まった人たちが、すぐ近くで花嫁花婿の誓いの言葉を聞くことができます。また、地域の歴史を紹介するパネルや展示物が回りにあるため、本人たちや家族にとっては「馴染みの場所」で挙式できる喜びがあり、参列者は、多少の待ち時間も退屈しなくて良いようです。久しぶりにバッファローを訪れる親戚の人などは、ギフトショップでお土産の買物もされます。博物館のスタッフも交代で受付を勤めるので、私もこれまで2度立ち会いました。
 エリックと私が結婚したのは、2年前。今でも、あの日の感動は鮮やかに覚えています。ドレスを着て教会に向かう途中、見知らぬ人たちから「きれい!」と言ってもらい、とても嬉しかったことを思い出し、私も博物館の花嫁さんに声をかけるようにしています。結婚式をそっとのぞかせてもらったときには、つい涙が出てしまいました。パーティーの後で、テーブルを飾っていたバラをいただきました。幸せを少しおすそ分けしていただいたようなその花たちは、その後しばらく、私たちのテーブルでやさしく香っていました。

2007年10月2日火曜日

勉強の秋


 10月になりました。先月から通信講座で翻訳の勉強を始めた私には、今年の秋は「勉強の秋」になりそうです。9月までは暑い日も多く、11月には雪が降り始めるバッファローの短い秋は、街路樹の紅葉も所どころで始まり、少しやさしくなった太陽の光が「外においで」と呼んでいて、じっと机に向かっているのは大変。アパートの裏庭では、冬に備えて、リスたちが一生懸命食べ物を探しています。
 子供の頃から「英語を話せるようになって、世界を見てみたい」という漠然とした夢を持っていた私は、英語はずっと好きで勉強していました。考えてみれば、日本で一度も英語を使う仕事をしていなかったことは、不思議です。短大の英語科を出て、後のことは何も考えずにイギリスに行き、帰ってみたら日本経済のバブルがはじけていました。そんな時代に、世間知らずの私は、長引く就職活動に耐えられず、とりあえず採用してもらえた会社に勤めたのでした。次にインテリアに興味を持ち、働きながら夜間専門学校へ。資格を取得し、大きな会社・小さな会社でインテリア関連の仕事をしました。働いていた頃は、いつも渦の中にいて、周りが何も見えていなかったように思います。でも、後悔はしていません。必死で積み重ねた毎日が、私を強くし、興味で勉強したことも、私の引き出しの中身を増やしてくれているのですから。
 今の博物館での仕事は大好きなのですが、この先どこで暮らすことになるのか、まだ決まっていないので、住む地域に関わらず、長く続けられる仕事が必要だと感じていました。インターネットで情報収集し、在宅翻訳という道を知りました。翻訳の勉強はまだ始めたばかりですが、これこそ私の職業にできるよう、がんばります。

2007年9月27日木曜日

お弁当


 「健康的に・経済的に」を心がけているわが家では、出かける時はなるべくお弁当を作るようにしています。エリックも毎日大学に行くので、サンドイッチとサラダなどを用意し、ダイエットコーラと一緒に持たせます。講師兼学生のエリックは、職員用の冷蔵庫や電子レンジを使わせてもらえるので、ラッキーです。

★レシピ:BLT(ベーコン・レタス・トマトのサンドイッチ)
材料(2人分):カイザーロール2個、ベーコン6枚、レタス2~4枚、トマト中1個、マヨネーズ・粒マスタード少々
作り方:ベーコンは前もって焼き、トマトは薄くスライスしておきます。各カイザーロールに横に切れ目を入れ、具を重ねてサンドします。スライスチーズを加えてもOK。お弁当など、すぐに食べない場合は、トマトは別にしておき、食べる直前にはさみます。

 アメリカのダイナー(食堂)で人気のサンドイッチ。老人ホームでウエイトレスをしていた頃も、よく注文を受けました。カイザーロールがなければ、普通の食パンやトーストでも美味しく作れます。きゅうりのピクルスを添えれば、典型的なアメリカのランチの出来上がり。(写真のグラスの中身は、以前ご紹介したガスパッチョです。)

2007年9月25日火曜日

再会


 一週間ほど前に日本の友達から連絡があり、出張でアメリカに来ることになった、ということでした。予定を聞いてみると、週末になんとか再会できそうな感じ。エリックと私が結婚前からお世話になっている彼には、できる限りのおもてなしをしたいと思いました。
 土曜日の昼前に、まずは空港でお出迎え。その足でナイアガラの滝に向かいながら、途中、大きなハンバーガーのランチを食べました。時間があれば、ナイアガラの滝のアメリカ側に車を止めて、橋の途中に何気なくあるカナダとの国境を徒歩で渡ることもできるのですが、今回は車でカナダに入国。そして、いよいよ滝に接近です。豊かな水量は全米でも1番というこの滝は、豪快に水しぶきを上げ、観光客をとりこにします。何度もシャッターを切る彼は、大満足の様子。続いて、ワイナリー(ワインの酒蔵)でテイスティングを楽しみ、バッファロー市内に戻って、私の勤める博物館に駆け足で訪れ、ダウンタウンのレストランで食事。アパートに着くと、お疲れの彼は早々にベッドに入ったのでした。
 本来仕事で来ている彼は、日曜の夜には、ニューヨークの州都Albanyに着かなくてはなりません。また飛行機を乗り継いで移動してもらうのは、どうしても避けたく、片道5時間の道のりを、ドライブを兼ねて送っていくことにしました。朝9時すぎに出発。エリックと私が交代で運転し、途中でお弁当を食べ、ホテルに到着したのは午後3時。少し休憩した後、せっかくなので、3人で州都庁舎のあるエンパイア・ステイト・プラザに行きました。週末で静かな庁舎周辺を、写真を撮りながら散歩した午後のひとときは、時間もゆっくり流れているようでした。短かった再会の別れを惜しみつつ、午後5時には再び高速道路へ。
 そして、今日。月曜日。友達も居なくなり、エリックも出かけた後のアパートで、私は少しさみしい気持ちになるのでした。

2007年9月19日水曜日

ドレスアップ


 エリックの気まぐれや、流動的なスケジュールのために、外食する予定でないのに、出かけた先で急にレストランに入ることがあります。そんなつもりはなくて、Tシャツにジーンズ姿で知らないレストランに入ったりすると、予想以上にシックな店内や、他の人たちのドレスアップ姿に気後れしてしまい、思うように料理を味わえないということが何度かありました。この経験から、今では予定外で外食するときには、自分たちの服装も、お店選びの条件に加えることにしています。
 他に、ドレスアップの機会といえば、これからの季節は観劇です。バッファローのダウンタウンには、豪華な劇場があり、これまでにミュージカル『シカゴ』『レント』、またコメディアンのライブショーなどを観に行きました。高い天井から吊り下がるシャンデリアや、壁にかかった肖像画などを眺めながら、ショーの前にはワインやシャンパンを楽しみます。いかにも慣れていないような人は、ジーンズで来てしまったりして、少々居心地が悪そう。逆に、小さなレディーが一生懸命着飾って、すましている様子は微笑ましいし、男性がネクタイはなくてもドレスシャツとジャケットを粋に着こなしている姿には、つい見とれてしまいます。
 アメリカは自由の国。ドレスコードがはっきり示されていない限り、よほどどんな服装でも、とがめられることはありません。でも、自由だからこそ、TPOをわきまえて、自分なりにドレスアップできることがお洒落であるということは、結局どこの国でも変わらないのだと思います。

2007年9月15日土曜日

カフェ・アロマ



 ここが、エリックと2人で、または私ひとりで、時々来るカフェです。アパートからは、徒歩5分くらい。バッファロー市内でも、ダウンタウン寄りの Elmwood Avenue に面していて、学生や近所の人たちでいつも賑わっています。ここでコーヒーを飲みながら、新聞や本・パソコンを広げたり、散歩途中の人は、犬をつないでテラス席で一服、と、皆リラックスした様子。
 日本で勤めていた頃も、色んな喫茶店に入りました。名古屋では、朝、コーヒーを注文するだけで、ゆで卵とお代わりできるトーストが付いてくるお店とか、飲み物以外にスパゲティやハンバーグなどのメニューが充実しているお店とか。岡崎では、カップ&ソーサーが1組ずつ違うデザインで、注文内容やお客さんのイメージに合わせて選んでくれるお店もありました。どこも、それぞれ個性が光っていました。
 大手チェーンの流行りのカフェも、もちろん良いのですが、私が好きなのは、このカフェ・アロマのように味のあるお店です。テーブルがガタガタしていたり、お気に入りのケーキが品切れだったりするけれど、使い込まれたマグカップになみなみと注いでもらったコーヒーには、何か特別な味わいがあるような気がするのです。
 <物価ご参考>
 デカフェ・コーヒー(小):$1.50 (1杯だけ、お代わり可)
 カフェラテ・ヘーゼルナッツ風味(中):$2.50
 ティラミス:$4.00

2007年9月11日火曜日

トマトできた!


 ふた月ほど前に、義母がプランターにトマトの苗を植えてくれました。アパートの裏口に置いているので、ネコやちびっこ達のいたずらの対象にされないか心配していたのですが、大丈夫でした。枝にいくつも小さな緑のトマトができているので、この先しばらくは新鮮なトマトを楽しむことができそうです。

★レシピ:ガスパッチョ(冷製野菜スープ)
材料(4~6人分):トマト(中)2~3個、セロリ2本、赤ピーマン1/2個、赤たまねぎ1/2個、にんにく2片、あればバジルの葉10枚、市販のトマト/野菜ジュース300ml、バルサミコ酢大さじ1、赤ワイン酢大さじ2、オリーブオイル100ml、塩・こしょう少々、ケインペッパー少々
作り方:野菜を洗い、1.5㎝角程度の大きさに切り、全ての調味料と一緒にボールで合わせます。数時間~1晩置き、ミキサーでほどよいなめらかさになるまで混ぜます。

 去年の夏に覚えたガスパッチョは、エリックも大好きで、今年も何度も作りました。材料の野菜は、きゅうり・きゃべつ・青ピーマンなど、水分の多いものなら何でも使ってみればよいと思いますが、味のベースになるトマトと赤たまねぎは必ず入れてください。オリーブオイル240mlというレシピもありましたが、かなり減らしても味は大丈夫でしたので、ここでは100mlとしました。ケインペッパーは、タバスコでも代用できます。

2007年9月7日金曜日

新しい職場


 2005年4月の渡米後に、すぐ手続きを始めたグリーンカードが手元に届いたのは、確か11月頃でした。その流れで12月に運転免許を取得。翌1月からは、郊外の老人ホームでウエイトレスの仕事を始めました。
 その頃は特に英語にも自信がなかったので、ウエイトレスの仕事でも採用してもらえたことがありがたく、慣れない左ハンドルでの雪道運転も、早朝からの勤務も、なんとか頑張ることにしました。ところが、実際に働き始めてみると、朝食と昼食の配膳以外にも、食糧の在庫整理・皿洗いなどがあり、かなりの肉体労働であることが分かりました。まず初めの数週間は両腕に筋肉痛、続いて以前から弱かった腰に痛みを感じるようになりました。仕事仲間は、高校生から孫のいるおばさんまで、幅広い年齢層のユニークな人たち。でも、この重労働で皆疲れてしまって、仕事帰りに一緒にお茶を飲むようなことはできませんでした。そして、約1年半勤めた今年の5月末、やはり肉体的にどうしても辛いので、この仕事は辞めることにしたのです。
 まずは、傷めてしまった身体を回復するために、しばらく家でのんびりさせてもらいました。しかし、ひと月ふた月と過ぎ、身体の調子が回復するにつれ、また働きたいと感じるようになりました。同時に、経済的にも少しでも収入が欲しいわけです。人材派遣会社に登録したり、スーパーの仕事に申し込んだりしたのですが、どこからも何の返事もありません。そこに、エリックの大学経由でアルバイト募集のメールが入ったのです。就職活動は空振りばかりで落ち込んでいた私は、それほど乗り気でもなかったのですが、履歴書とカバーレター(自己紹介文)を送ることにしました。そして、2日後には電話連絡、同じ週に面接があり、なんと翌週から働き始めることになりました。
 Buffalo and Erie County Historical Society (バッファロー・エリー郡歴史協会)、この一部である歴史博物館が、先月からの私の新しい職場です。アパートから徒歩15分というのは、とても好都合。週に3日だけの勤務ですが、今の私にはこのくらいがちょうどいいのかもしれません。電話を取るときにはドキドキしてしまいますが、博物館特有のゆったりした雰囲気があります。受付の仕事は、いろんな人との出会いがありそうです。

2007年9月4日火曜日

アパートのキッチンにて ~はじめに

 アメリカ人の夫エリックとの結婚を機に、日本の碧南からアメリカのバッファローに渡り、2年余りが過ぎました。
 正直なところ、英語は一生懸命勉強したし、イギリスでも1年間生活したことがあるし、日本の会社勤めも経験してきたので、生活の場所が日本からアメリカに変わるくらい、なんてことないと思っていました。ところが、日本を離れて生活するということは、それほど単純なことではありません。いまだに外国語である英語でのコミュニケーション以外にも、夫家族の家風、アメリカの文化、バッファローの気候、新米主婦としての家事全般等、三十路を過ぎて学ぶ「初めて」のことが本当に盛りだくさんで、この2年余りはあっという間に過ぎてしまいました。
 さて、現在の私はパート勤めの主婦です。今は少し自由な時間があるので、ブログ『アメリカでがんばる小さな主婦』を始めることにしました。アメリカに来て以来、私が身をもって体験していることや、主婦として学びつつある生活術などを紹介していきたいと思います。
 これは、私自身の個人的な記録にするため、また、私の大切な家族や友だち、国際結婚を考えている人、私の生活に興味を持ってくださる人たちと、情報を共有するために始めるプロジェクトです。