2007年10月24日水曜日

ホームシック

 短大時代に研修旅行で2ヶ月間家を離れたときも、ボランティア活動で1年間家を離れたときも、ホームシックを感じたことはありませんでした。これは精神的に自立できている証拠だと思っていました。渡米するときも、空港では涙が出てしまったけれど、これから迎える結婚生活に胸をふくらませ、さみしい気持ちはあまりありませんでした。
 そんな私がホームシックを自覚したのは、アメリカ生活2年目、去年の秋。左ハンドル運転にもウエイトレスの仕事にも慣れ、生活が規則正しく回転していた中、不注意で風邪をひき、その頃から自分の精神状態がガタガタっと落ちていったように記憶しています。普段の生活では、仕事や家事に精一杯で、いろんなことをゆっくり考える余裕がなかったのですが、ベッドの中、熱のある頭でぼんやりと両親や友達のことを考えていたら、なんだかたまらない気持ちになってしまったのです。仕事は1日休んだだけで、翌日からまた普段の生活が再開したのですが、相変わらず気持ちは沈んだまま。風邪の症状がなくなった後も、ずっと身体が重い感じが続きました。いつも連絡している友達にメールする気にもなれず、大好きなウインドウショッピングもエリックとの散歩も、何をしても楽しめず、食事も美味しく食べられず、夜もぐっすり眠れない日が―その頃は時間の感覚がなく、よく覚えていないのですが―ひと月近くも続いたでしょうか。ある日、義母に呼ばれ、しばらく二人でとりとめのない話をした後、こう切り出されました。
「あなた、もう1年近くも日本に帰っていないでしょう。帰省は計画していないの?」
グッと、痛いところを突かれたような気がしました。
「クリスマスプレゼントで、飛行機のチケットをあげようと思っているのよ?」
「とてもありがたいのですが、フルタイムで勤めているので、それほど長期に休ませてもらうわけには…」
抑えていた感情がこみ上げ、涙があふれて言葉を続けられません。
「ご両親はもちろんのこと、他の人たちにだって、会いたいでしょう?」
長年、中学校の教師をしてきた義母は、目をそらさずに話し続けました。
「仕事先には、書面でリクエストしましょう。正当な理由があれば、相手だってただノーというばかりではありませんよ。それに、今の仕事は大変でしょう。もしノーと言われたら、辞める方法だってありますよ。仕事はまた探せばいいのだから。」
私の状態を心配したエリックが、こっそり義母に相談してくれていたようです。
 義母の提案通り勤務先にリクエストを出し、2月に4週間帰省できることになったのですが、おかしなことに、嬉しい気持ちがなかなか沸いてきませんでした。今、振り返ってみると、アメリカで学生に戻ったエリックに代わって収入を得るため、肉体的につらい仕事を無理に続け、買物も外食もできるだけ控え、帰る予定のない日本のことをずっと考えないようにしていました。そのストレスが、知らず知らず自分の限界を超えてしまっていたのだと思います。心の中の、楽しいことや嬉しいことに反応すべき部分の働きが、にぶってしまったのです。
 日本で元気を回復した私は、エリックがアルバイトに就いたこともあり、その後しばらく勤めてウエイトレスの仕事は辞めました。毎日の生活のためには、選択の余地なく働かざるを得ないこともあると思いますが、心と身体のバランスを失ってしまわないように、自分も気をつけ、パートナーを見守る必要があると思います。これが私のホームシックの経験です。